アニメを見たので、ちょっと考えた。
ペルソナは、3以降から完全に別ものとして扱われているが、もしもこの関連が全て繋がっているのだとしたら、かなり面白い裏設定が考えられるので、考えてみた。
前提として、2の『罪』の段階で、フィレモンとニャルラトホテプは無事な方の世界(主人公が仲間と出会うことがなかった可能性世界)に介入することが出来ない、ということにしておく。それでも、ベルベットルームは双方の間に存在する。
3のストーリーは、良くは知らないが、結果的に世界の滅びを、ある種それが出来る主人公が命をかけて救う、というもの。
4のストーリーは、主人公と後二人に対して、さる存在がある力を与えて、その後を傍観するもの。
3に関しては、ストーリー的にも女神異聞録に似通っていて、4に関しては2に似通っている。
で、何の裏設定を考えるのか、というと。
3・4で描かれる世界は、要するに、2の世界で主人公たちが出会わなかった無事な方の世界。
しかしながら、嫌味がごとく行われるニャルラトホテプの実験に関しては行われない(介入できないので)為、一応の平和は保っているが、しかしながら普遍的無意識というものについては、どの世界にも共通して存在しているため、ペルソナは存在。しかしながらその定義については歪められた――というか、変異した。
で、基本的にシャドウというものがどういった存在なのかについて、あまり詳細には知られないようなので、これを人が普遍的無意識の中ではぐくんだ世界に対しての不安の象徴として見ると、なんとなく面白い設定が見えてくる――ような気がする。
何がか、というと、一度世界が滅びる事実を知っているが、しかしながら世界が分岐しているために明確にその記憶を有しているわけではない人間達が、無意識の内に『滅びへの恐怖』を造り上げる。
これを阻止する為に、逆に研究してしまうのが3で、世界を滅びから救うのが、偶然に偶然を重ねた3の主人公。
しかしながら、重なる世界への無意識の恐怖は、新たな恐怖の象徴を生み出し、そこからニャルのような存在が生み出されるのが4。
根底に1や2の『世界の滅びへの恐怖』があると見ると、繋がっている……と言えないこともない――こともないか。
とまぁ、そんな妄想を繰り広げ、4を曲がって目線で見るアニメーション。
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